第10回「“話してよかった”と思える経験を」(ゲスト:宮原哲 西南学院大学教授)【前編】

【未来の教育を語る 】第10回のゲストは、西南学院大学 教授の宮原哲先生です。前編は、日本におけるコミュニケーションやディスカッションの現状について語っていただきました。

 

㈱ビッグトゥリー

代表取締役 髙柳 希

ディスカッション好きが高じて大学時代に起業。ディスカッション・コミュニケーション専門の教育会社として、企業研修や学校にて教育を行なう。2015年に小学生・中高生対象のディスカッションスクール「ディスカッションの学びの空間 Dコート」を開校。

西南学院大学

教授 宮原 哲

日本コミュンケーション学会会長、日米コミュニケーション学会会長の経歴を持ち、日本にけるコミュニケーション学の教育と研究の促進に努める。メディア出演や社会人研修、講演会などでも活躍。


高柳 希(以下、高柳):Dコートの高柳です。本日は、よろしくお願いします。

 

宮原 哲(以下、宮原):西南学院大学の宮原哲です。コミュニケーション学を専門としている他、講演会やメディアでのコメンテーターなども行なっています。

 

高柳:宮原先生と出会ったのは14年前です。私が大学3年生のとき、宮原先生の新聞記事を読み、先生を訪ねました。自分たちで考えたコミュニケーション理論を先生に褒めていただき、とても感動しました。

 

ゲスト:私も覚えています。そう考えるとこの出会いはすごいですね。

 

関係が成り立っている「つもり」に

ーー日本におけるディスカッションの現状について教えてください。

 

宮原:まずは日本のコミュニケーションの特徴を考えてみましょう。これまでの日本では、“一を聞いて十を知る”コミュニケーションが成り立ちました。しかし、現代では価値観が多様化しているので、これが通じません。 

今でも「言わなくても分かってもらえる」という関係が成り立っている「つもり」になっている人が多い気がします。ディスカッションのような論理的な議論ができていないです。

昔の人は、"阿吽の呼吸"と言いました。これは、多くの時間を一緒に過ごして気心が知れた関係にのみ使えます。

 

高柳:現代では、隣人や周囲の人と話したり、会話に時間を費やす機会が少なくなってきていますよね。そんな時代だからこそ、ディスカッションを行なったほうがいいということですか?

 

宮原:そうですね。その前に、まずは一から十まではっきり伝えることを経験することです。

 

高柳:日本でディスカッションが定着しなかったのは、"沈黙は金"のような何も発さないことが美徳とされた時代があったからではないかと私は思います。

 

宮原:日本で自分の意思を発するディスカッションをすることは、ものすごく苦労すると思います。

 

欧米のディスカッションは自然

ーー日本におけるディスカッションの現状について教えてください。

 

高柳:私は10年ほど前に、"討論"という言葉に対するイメージを調査したことがあります。7割以上の人が「怖い」「戦い」というイメージを持っていました。「私が行なっているディスカッションは何なのだろう?」と疑問に思っていた時に、宮原先生からディスカッションの種類を教えていただきました。

 

宮原:そうでしたね。

 

高柳:さまざまな種類のディスカッションがあるのに、そもそもディスカッションを体験する場すらないですよね。

 

宮原:その通りです。また、日本人の多くは“論”という言葉を煙たがります。ディスカッションはひとつの道具に過ぎません。しかし、今の日本では何を議論するかについて考えないとディスカッションできないですよね。

 

高柳:海外ではどうでしょう?私は、アメリカに行ったときに、ごく自然にディスカッションが行なわれている光景を見ました。

 

宮原:海外では、ディスカッションが浸透しています。私は以前、アメリカの大学に勤めていました。授業中、学生同士でディスカッションが始まります。何人かいるとディスカッションが始まるので、特に合図や指示をする必要はありません。

 

高柳:日本は、沈黙を破らないとディスカッションが始まらないですよね。

 

宮原:アメリカの学生にとってディスカッションを行なったか、行なわなかったかは問題外です。誰とも話し合っていないということは、まずありえないことです。

 

高柳:日本の大学では、グループ発表などプレゼンする際に、役割分担から始めてしまうことがあります。最初に担当する章を決めて、組み立てるスタイルをよく目にします。

 

宮原:おっしゃる通りです。しかし、これは全然グループ発表になっていないです。全体のプランを考えることなく最初から担当を決めると、バラバラのことを言ってしまったり、ほぼ同じことを行ったりしてしまいます。そのため、ディスカッションをした形跡は残らないです。

 

高柳:日本では、ディスカッションはかなり場面が限定されているイメージがあります。

 

宮原:はっきり言うと、日本文化の中でディスカッションという形態は不自然です。

 

高柳:海外は、ディスカッションがとても自然にできているということですね。日本は、わざわざ「ディスカッションしましょう」と声をかけることがよくあります。それぐらい" 意見を出す"ことが大変です。

 

宮原:日本の場合は、 先生が「どう思いますか?」と投げかけても誰も手を挙げません。

 

目的不在のコミュニケーション

高柳:私が宮原先生の授業で一番好きなのは、“コミュニケーションは影響し合う”です。話をして、聞いている人の反応によって自分自身も楽しくなります。

 

宮原:私は、言葉の重みを尊重することが大事だと思います。しかし、今の社会では決められた文章ばかりです。国会も答弁があらかじめ決められています。その場で議論して答えるのではなくて、最初から質問があるということ、それに中身も分かっています。

 

高柳:これはディスカッションとは呼べないですね。

 

宮原:結婚式の挨拶にしてもそうですね。日本人はコミュニケーションの目的を大切にしていない傾向があります。話したという事実をつくるためだけに挨拶をするようなところがあります。

 

ーー今後、日本におけるディスカッションは、海外のような自然な形にまで浸透していくと思いますか?

 

高柳:日本では、多くの人がディスカッションを“知識のある人同士の行為”だと思っている節がありますね。

 

宮原:日本は上下関係や経験の長さが重視されます。この現状があるので、“自然なディスカッション”までには、かなりの時間がかかるでしょうね。

 

高柳:上下関係などの日本の文化もディスカッションが自然と起こらない大きな要因かも知れないですね。

 

宮原:自分より年上の人に、最低限の敬意を払うことは大切ですが、その人が話している内容がすべて正しいとは限りません。今の大人にはディスカッションは難しいかも知れませんが、子供の頃からのディスカッションは教育上必要だと思います。

※後編は、5月10日(金)に公開されます。


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