第10回「"話してよかった"と思える経験を」(ゲスト:宮原哲 西南学院大学 教授)【後編】

【未来の教育を語る 】第10回のゲストは、西南学院大学 教授の宮原哲先生です。前編では、日本におけるディスカッションの現状について語りました。後編では教育におけるディスカッションの意義について語ります。

㈱ビッグトゥリー

代表取締役 髙柳 希

ディスカッション好きが高じて大学在学中の2006年に起業。ディスカッション・コミュニケーション専門の教育会社として、企業研修や学校にて教育を行なう。2015年に小学生・中高生対象のディスカッションスクール「ディスカッションの学びの空間 Dコート」を開校。

西南学院大学

教授 宮原 哲

日本コミュンケーション学会会長、日米コミュニケーション学会会長の経歴を持ち、日本にけるコミュニケーション学の教育と研究の促進に努める。メディア出演や社会人研修、講演会などでも活躍。


大原則は「いちいち否定しない」

高柳:Dコートの教育を通じて、気づいたことが2つあります。1つ目は、自分以外のものに対して興味・関心を持つことは本当に難しいことです。

もう一つは、同じ世代で深く語り合うことの大切さです。深く語り合うことで自信がついているように感じます。この自信はおそらく、自分の意見が肯定されたことでついたものだと思います。

 

宮原:ディスカッションの大原則は、「人が言ったことをいちいち否定しない」ということです。これは絶対に必要なことです。言った後のことを考え、言わないという選択をしてしまった経験はないですか?

そこで必要になるのは、発言しやすい空気づくりです。正解はたくさんあるということを念頭に置いて、ディスカッションすると自然と発言しやすい空気がつくられていきます。

 

高柳:これは私も大賛成です。

宮原:多くの家庭で父親が決めたことに同調することを強要される傾向にあります。身近でも、正解を1つにしようとする空気はあるんですよ。これに対して異を唱える人は、「場を乱す」と言われます。これはおかしいと私は思います。

 

高柳:確かに「場を乱す」や「水を差す」という表現はよく使いますね。

 

宮原:日本人は空気を読むことが大切だと言われています。また、空気が読めない人間は社会から省かれる傾向にあります。非常に狭いコミュニティの中でも空気を読みがちな人は多いのではないでしょうか。これはディスカッションにも共通すると思います。

 

高柳:ディスカッションするにあたって、別の問題もあります。「自分がすごいと見られたい」という目的で意見を言う人がとても多いことです

 

宮原:自分の存在感をみんなに認めてもらうことだけが目的の人がいます。そのような人は、内容が周囲に伝わっていないので、ディスカッションに貢献しているとは言えません。ただ、内容による貢献はなくとも、場の活性化にはなっていますね(笑)

 

高柳:空気を読みすぎたり、認めてもらいたいという目的ばかりになったり。そもそも、ディスカッションに慣れていない状態なのかも知れませんね。

 

「話してよかった」と思える経験を

宮原:パラフレーズってご存知ですか?相手が言ったことをまとめ、自分の言葉に置き換えて聞き返すという行為です。

実は、パラフレーズは非常に重要なのです。確かに聞くことも大切です。しかし、日本では「聞く=同意」と考えている方が多くいます。少なくとも、表面上同意して終わることが日本では多いです。これがディスカッションがなかなか進まない原因の1つです。

欧米では、相手の意見を聞いて、理解した上で反論し、更に議論が発展していきます。

 

高柳:確かに日本には「聞く=同意」といったイメージがありますよね。

 

宮原:たとえば、看護師の研修などでは、“傾聴力”という言葉をよく使います。理不尽な要求や筋が通っていない話などすべての場合において、患者の立場に立ってこちらが譲歩して相手の考え方を全部取り入れないといけないと思っているフシがあります。

 

高柳:私は“理解”と“共感”は、全く別のものだと思っています。

 

宮原:その通りです。“理解 “共感” “合意”という言葉は全然違います。

 

高柳:たとえ自分に答えがなくても、議論を通してどこかにたどり着くことで「話してよかった」と私は思います。社会にはそういう瞬間が少ないのかも知れませんね。

 

宮原:「話をしてよかった」「聞いてもらってよかった」と思う経験が少ないのかも知れないですね。

最近、大学のゼミで自分の教え子に「今どんな仕事をしていて、どんな苦労をしているのか」を聞いてみました。私自身、聞けてよかったと思ったのですが、教え子自身も「話をしてよかった」と充実している様子が印象的でした。

 

高柳:何かを決定したわけではないけれど、理解し合うだけの時間にも大きな価値があるのかも知れませんね。

 

意見がないのは自分を知らないから

宮原:研究室に学生を招いて、ディスカッションすることがあります。学生が考えてもなかったことを質問すると、学生は真剣に考え始めます。考えることは非常に重要なことです。学生も、私自身も真剣に考えることで考えが整理されていきます。

 

高柳:聞いてもらって気づく経験や、自分の人生や考えを整理して話すことが面白いと思う経験がなかなかないですもんね。

 

宮原:自分の意見を出さない人は、自分のことを知らない人が多いです。意見をする言葉、タイミング、口調を知らないわけではなく、意見がないということです。意見がないことに慣れた人は、その状態を不思議と思いません。そう考えると、日本の学生が授業で発言しないのは、「自分のことを知らない」「自分のことを知ろうとしない」からなのかも知れませんね。

 

高柳:Dコートでは、“価値観の交換”を大切にしています。「理解はできるけど、共感はできない」というディスカッションもあっていいと思っています。Dコートのディスカッションでは、最初は意見が出てこない子でも、他の誰かが意見する中で刺激され、自然と意見が出てくるようになります。

 

宮原:ディスカッションは、自分が今まで気がつかなかったことを知ることにも当然つながります。しかし、それは痛みも伴い、決していいことばかりでは限りません。

 

高柳:傷つくこともありますからね。

 

宮原:自分がどのような人間なのか知らないで生きていくということは、人間としての生き方を放棄しているといっても過言ではないと思います。

たとえば、仕事で「お客様のために自分を犠牲にできない」ということに気づいたら、転職を考えるようにもなります。

 

高柳:自分の価値観を知らないと、何となく仕事を続けてしまうかも知れないですね。

 

宮原:我慢できるならそれでもいいと思います。自分の良いところも悪いところも含めて、できる限り深く考えて知ろうとする努力は、ディスカッションの手前で必要なことです。

 

コミュニケーションを和らげる場所

宮原:自分の意見を発信して、みんなで耳を傾けて否定や肯定をする行為は、本来ならば自然とできないといけないはずです。高校生までの子どもたちにディスカッションは特段変わったことをやるわけではなく、自然に話をして「話してよかった」、「聞いてもらってよかった」と思ってもらうだけで十分です。一人ひとりが価値観を交換・確認することが大事です。

 

高柳:私は、ディスカッションによって「自分は何かをつくっていく1人なんだ」という主体的な感覚が育まれるのではないかと感じています。

 

宮原:そうですね。言ったことに対して責任を持たないといけません。責任を持つということは、人から聞いたことの受け売りではなくて、自分自身の意見をはっきりと伝えることでもあります。

コミュニケーションは最も実践的な学問といわれているので、概念や理論を知っていてもあまり意味がありません。「日常生活にどう活かすか」が大切です。

現在、“コミュニケーション力”が、これだけ重視されているのは、日本人が苦手なところでもあるからだと思います。

少しずついろいろなものを訓練の材料として提供することによって、コミュニケーションを和らげていくDコートの存在は大きいと思います。

 


自分らしく考える力を育む!

ディスカッションの学びの空間 Dコート

Dコートでは、身近なことから社会のことまで幅広いテーマのディスカッションを通じて、自分らしく考える力身につけることができます。学年も年齢も関係ないフェアな空間で、ワクワク一緒に議論しませんか?