人と自然を結ぶ対話と体験の場づくり【後編】

今回の対談では、子どもへの自然教育の意義について語っていただきました(前編はこちら)。


㈱ビッグトゥリー 代表取締役(写真左)

髙柳 希

ディスカッションを専門に、企業研修や学校にて教育を行なう。2015年に小学生・中高生対象のディスカッションスクール「ディスカッションの学びの空間 Dコート」を開校。

グリーンシティ福岡 理事

志賀 壮史

NPO法人グリーンシティ福岡理事。自然環境の保全や地域づくり、環境教育などの分野でワークショップ・研修等のファシリテーターを務める。近年は特にボランティアリーダーやインタープリターの養成に取り組む。芸術工学 博士。


環境教育の意義とは

ーー子どもたちを対象にしたとき、自然を通じた活動の意義はどんなところにあるのでしょうか?

志賀:養老孟司先生の「自然は意味がないからいい」という言葉を思い出すことがあります。

養老先生とは過去に何回か仕事でご一緒させていただきました。ある審議会の座長として「森に落ち葉が落ちていることには基本的に意味がない。そのような体験をもっとする必要がある」とおっしゃっていました。

高柳:なかなか哲学的な話ですね。

志賀:環境教育に関わる人の中でも考え方はいろいろです。すでに言葉になっている「大事なこと」「覚えてほしいこと」を伝える人もいます。

それとは違って、「体験を自分で言語化していくプロセス」を身につけることを大事にする人もいます。

先人が既に言語化したものを言語で伝えるということも大事ですが、私は、もっと「場」を用意して子どもたちに体験してもらい、「そこで何かを掴み取るのは自由」というような体験型学習が大事だと思っています。

高柳:私は今「アルテシマ」というゴムの木の観葉植物を育てています。

ある日、虫がついて黒くなった部分を切ったところ、白いボンドのような真っ白い液体が葉っぱからダラダラ出てきてびっくりました。このようなことになるとは思っていなかったので、かわいそうな気持ちになりました。

志賀:この体験で、高柳さんの中にどんなことが生まれるかが大事だと思います。

解釈の余地が無限に残されている

高柳:「自然は意味がないからいい」という解釈は、私にはまだまだ難しく感じます。

志賀:私もですが、1つは「解釈の余地が無限に残されている」ということかもしれません。

高柳:そう考えると言葉の解釈も人によって異なるので、ディスカッションの世界と共通点を見出すことができそうです。

つまり、活動自体は違うけれども無限の解釈ができる機会を提供することによって、「どのように解釈しても自由だよ」と伝えたいということです。

志賀:そういう意味では近いかもしれません。別の言い方では、「余白の少ない世の中への危機感」とも言えそうです。

 

余白のない空間では、道路や庭など境界線がしっかりと引かれていて、どのように使っても自由な場所がありません。昔、存在していた縁側のような余白の空間が徐々に失われています。

人間には、自由や遊びのある余白が必要と思いますが、身の回りからはじき出された後にあらためて収容所を形成するようなシステムになっていると感じます。

今後このような現象は、もっと進むのではないでしょうか。

言葉はラベル、ラベルは入れ物

高柳:教育上、ディスカッションに何の効果があるのかとよく聞かれます。ディスカッションを通じて自問自答するタイプの子や知識と自分の考えを繋げていくことが得意な子、みんなの話を整理してまとめを積極的にする子など、それぞれに成長があるので一概には答えられません。

 

確かに、自然体験やディスカッションすることによるメリットを伝えた方が安心感はあると思いますが、同時に可能性を限定しているような気がします。先入観なく自然体験やディスカッションをすれば、無限の解釈ができると思います。

すぐに意味を求めようとするのは、行動に対して答えや価値がハッキリしないことに不安な人が多いからではないかと思います。

志賀:「自然は意味がないからいい」という養老先生の言葉は、「意味」つまり、言語化された知識というのは「見出し」のようなものでしかないということかもしれません。

言葉だけの知識は、見出しだけを集めて中身が入っていない状態と言えそうです。

中身は、実体験や感覚によって養われるものだと思います。見出しだらけのところに、さらに新しい見出しを詰め込む行為はどうもよくないように感じます。

高柳:私がディスカッションを教えているときに課題を感じていることは、自己理解ができていないということです。

これは子どもよりも大人のほうが顕著です。自分のことが分かっていないという自覚がないにも関わらず、相手に分かってほしい、分かり合いたいということは難しいと思います。

 自分で感じることや解釈する機会が減っているということは、先ほどの話に通ずると思います。現在は、日々意味を外部から与え続けられることで、自ら解釈できていないのではないでしょうか。

自分が何者なのかを理解しようとするとき、世の中から与えられるラベルで探してしまうのではないかと思います。

志賀:みんな、ラベルを伝えることに忙しく一生懸命になっているのかもしれません。

ディスカッションは、自然体験とは違って言葉でのやり取りですが、Dコートに関しては、相手の言葉と自分の言葉をもとに、考え、解釈し、血肉にしていくイメージですね。「解釈の余白や自由があること」「体験を言語化する学びのサイクルがあること」などが共通して大事なことだと感じました。

今回はありがとうございました。

高柳:こちらこそ、ありがとうございました。自然体験のお話を通じてディスカッションのことを、また新しい視点で見ることができました!

※次回、「第13回 未来の教育を語る」は2020年1月24日(金)に公開されます。


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